横浜DeNAのホームゲーム観客動員数が2年連続で200万人を突破し、9月13日時点で212万5261人と過去最高を記録している。動員数だけでいえば巨人の284万2210人、阪神の277万9399人に次ぐセ・リーグ第3位だが、球場の収容人数に対する観客動員数の割合で見れば、巨人は収容人数4万6000人に対し1試合平均4万2421人で1試合平均収容率は92.22%、阪神は4万7508人に対し4万2760人で90.01%、DeNAは3万2170人に対し、3万1720人で98.60%となる。広島の3万3000人に対し3万1282人、94.79%を上回りセ・リーグトップになる。ほぼ毎試合満員。横浜スタジアムは今一番、混んでいる球場だ。

親会社がDeNAに替わって以降、エンタテインメント産業らしくファンサービスに力を入れ、横浜スタジアムの運営会社を買収、子会社化しボールパーク化を図ったことが功を奏した。そしてなによりも首位を争うチームの強さが、ファンをスタジアムへと足を運ばせるのだろう。長らくBクラス常連のセ・リーグのお荷物的存在で、観客動員の実数発表が始まった2005年に97万6004人と100万人を割り込んだことを考えると隔世の感がある。

今回ご紹介するのは、横浜「暗黒時代」真っ只中の半券。2007年10月8日の対ヤクルト戦。4位横浜と6位ヤクルトの対戦、裏ではパ・リーグのCSをやっているというバリバリの消化試合ということもあり入場者は6912人しかいなかった。しかも10月8日、9日2試合共通観戦券になっており、翌9日の試合は半券で再入場できるという、今では考えられない半ばヤククソ気味の珍しいチケットだ。

10月8日 横浜対ヤクルト23回戦 
ヤクルト 101010010  …4
横浜   40000001× …5
勝 木塚 3勝1敗
S クルーン 3勝1敗31S
敗 シコースキー 1勝2敗1S
本 リグス3号(三浦)、吉村23号(藤井)

先発は横浜が三浦大輔、ヤクルトが藤井秀悟という、とても消化試合とは思えない豪華な対戦。初回にラミレスがシーズン203本目のヒットを放ちセ・リーグ記録(当時)を更新した。ラミレスは盛んに一塁ベース上でガッツポーズしたり手を叩いたりしていたのだが、花束贈呈どころか記録達成のアナウンスもなく、モロ無視のまま試合を続行。当時の横浜球団はビジターに対してのセレモニーはしていなかったのか、それとも消化試合だからケチっていたのか? この時点で新記録達成のラミレスが横浜を率い、打たれた三浦が投手コーチを務めるなど知る由もなかったのだが、何とも因縁めいている。

10月9日 横浜対ヤクルト24回戦 
ヤクルト 000400000 …4
横浜   001100001 …2
勝 松岡4勝2敗
S 高津0勝5敗13S
敗 三橋2勝4敗
本 ユウイチ3号(三橋)、吉村24号(松岡)

前日の帰り際に「本日の半券で明日の試合も入場できます」とアナウンスがあったため足を運んだこの試合。半券での再入場に加え、横浜のホーム最終戦ということで外野席は無料開放ということもあって観衆は前日よりは増えて1万4418人だった。序盤の展開はほとんど覚えておらず、はっきりいって退屈な試合だったのだが、最終盤に思わぬ見どころがあった。この年限りで現役引退を表明しホームで引退試合を終えていた古田敦也兼任監督が出場したのだ。9回表、にわかに球場に歓声が沸き、なにかと思ったらネクストバッターズサークルで古田がバットを振っていた。そして最後の「代打オレ」。レフト線に長打性のファウルを打つなど5、6球粘り、最後はレフト前へ2097安打目のクリーンヒットを放った。その裏一死からこちらもこの年限りといわれていた高津臣吾がマウンドに上がった。1点差にも関わらずヒットを打たれ、四球も出し、フラフラになりながらもなんとか抑え通算286セーブ目。これがNPBでは最後の登板だった。

この連戦には他にもヤクルトは青木宣親、館山昌平、横浜も村田修一、内川聖一、仁志敏久、石井琢朗、クルーンらが出場し、今思えばなかなかの豪華メンバーが出場していた。

球場に客が入らなければ合併だ、再編だ、1リーグだと大騒ぎになる。球界全体のことを考えれば観客は多い方がいい。今日の満員の横浜スタジアムは結構なことだ。だが当日券でフラッと野球観戦ができないのは、馴染みのラーメン屋が雑誌に載って一見客の行列が入れなくなったようなさびしさがある。左右の座席に荷物を置き、前に足を投げ出す。そんなユルいプロ野球観戦ができた時代が懐かしい。

(「プロ野球半券ノスタルジア」石川哲也 )