陸上をますます面白くする~平成名勝負列伝~国内男子編①の続きです。

④高平慎士vs塚原直貴(2006年関東インカレ1部100m&200m)
全国大会ではないが、この年の関東インカレでは男子100mと200mの1位、2位が同記録という珍しい事態が起きた。しかも、その当事者が同一人物というおまけつきで……。

大激戦を演じたのは、順大4年の高平慎士と東海大3年の塚原直貴。陸上ファンならお気づきだろうが、2008年北京五輪で4×100mリレーの銅メダル(※のちに優勝したジャマイカの失格により銀メダルへ繰り上げ)獲得メンバーとして日本中を感動の渦に巻き込んだあの2人だ。

まず大会2日目の100m決勝。追い風0.4mの中、2人は「10秒37」の同タイムで駆け抜けた。写真判定の結果、勝ったのは高平。2位・塚原との差はわずか1000分の2秒だったが、〝着差あり〟で勝敗が決した。

■2006年関東インカレ1部100m決勝(+0.4)
1位 高平慎士(順大4) 10秒37
2位 塚原直貴(東海大3) 10秒37
3位 藤光謙司(日大2) 10秒41

そして週をまたぎ、200mでは超ハイレベルの戦いが予選から繰り広げられた。1組目では日体大の田岡洋和が20秒62(+1.9)でいきなり大会新記録を樹立すると、3組目では後に2017年ロンドン世界選手権の4×100mリレー銅メダリストになる日大の藤光謙司が20秒46(+0.4)、塚原が20秒50、高平が20秒64と、計4名が従来の大会記録(20秒65)を更新。決勝では再度、高平と塚原によるバトルとなり、またしても同タイム決着となった。

しかも、2人が叩き出したタイムは、翌年の大阪世界選手権のA標準(20秒59)を大幅に上回る「20秒35」(+1.2/当時・日本歴代4位)。またも1000分の5秒差による着差ありで、1学年先輩である高平に軍配が上がった。

■2006年関東インカレ1部200m決勝(+1.2)
1位 高平慎士(順大4) 20秒35=大会新、自己新
2位 塚原直貴(東海大3) 20秒35=大会新、自己新
3位 野田浩之(早大4) 20秒68=自己新

2種目で苦汁をなめた塚原だが、大学対抗の4×100mリレーでは大会新(38秒87)で制し、東海大の2年ぶり総合Vに貢献。わずか3点差の2位は、高平を擁する順大だった。

⑤村山紘太vs鎧坂哲也(2015年八王子ロングディスタンス10000m)
選手権ではない〝記録会〟扱いの「2015年八王子ロングディスタンス」男子10000mで、ダブル日本新の名勝負が誕生した。

高岡寿成が当時日本記録の27分35秒09(2001年)を樹立してから14年。この記録に挑んだのが、2015年世界選手権(北京)の5000m代表である村山紘太と、同10000m代表の鎧坂哲也による〝旭化成コンビ〟だ。

記録会ということもあり、最終7組は日本記録ペースの「1周66秒(5000m13分45秒ペース)」で進むようにペースメーカーが配置された。ほぼ設定通りで集団は動き、5000mの通過は13分44~45秒。6000mでペースメーカーが外れると、そこから2人による心理戦が始まった。

まず仕掛けたのは鎧坂の3学年後輩にあたる村山。8600mで一度鎧坂の前に出て様子をうかがうが、突き放すことはできない。そこで「日本記録を破っても、勝負に負けたら日本記録保持者にはなれない」と気持ちを切り替え、再び先輩の後ろに下がった。

その隊形のままラスト1周を告げる鐘が鳴り、いよいよ両者による激しいデッドヒートが始まる。ともに前を譲らず、まるで短距離走者のようなスピードでほぼ同時にフィニッシュラインを駆け抜けた。

肉眼ではどちらが勝ったのかわからない接戦だったが、勝ったのは村山。しかも、タイムは「27分29秒69」と「27分29秒74」という大幅記録更新だった。

晴れて日本記録保持者となった村山と、わずか100分の5秒差で〝日本歴代2位〟の男となった鎧坂。同じチームメイトによる〝ダブル日本新〟は、次の元号になっても名勝負として語り継がれていくに違いない。

■男子10000m日本歴代10傑(2019年3月20日時点)
27分29秒69 村山紘太(旭化成)     2015年11月28日
27分29秒74 鎧坂哲哉(旭化成)     2015年11月28日
27分35秒09 高岡寿成(カネボウ)     2001年5月4日
27分35秒33 中山竹通(ダイエー)     1987年7月2日
27分38秒25 佐藤悠基(日清食品グループ) 2009年4月24日
27分38秒31 大迫 傑(早大4)     2013年4月29日
27分39秒95 村山謙太(旭化成)     2015年5月9日
27分40秒69 宇賀地強(コニカミノルタ) 2011年11月26日
27分41秒10 三津谷祐(トヨタ自動車九州) 2005年6月29日
27分41秒57 宮脇千博(トヨタ自動車) 2011年11月26日

⑥ケンブリッジ飛鳥vs山縣亮太vs桐生祥秀(2016年日本選手権100m)
2016年の日本選手権は記念すべき100回大会となり、陸上競技の花形と言える男子100m決勝はメモリアルな大会にふさわしい一戦となった。

この大会の優勝候補は、京都・洛南高校3年だった2013年に10秒01の日本歴代2位の特大高校記録を打ち立て、東洋大に進学後も10秒0台を連発していた桐生祥秀と、2012年ロンドン五輪代表で、大会3週間前に10秒06の自己新をマークしていた山縣亮太と見られていた。

この年に開催されるリオデジャネイロ五輪の参加標準記録は「10秒16」。これを破って日本選手権に優勝すれば代表即内定となるのだが、すでにこの記録に到達していたのが上記2名と、同年5月の東日本実業団選手権で10秒10を叩き出した新鋭のケンブリッジ飛鳥の計3名だった。

3選手は順当に決勝へ駒を進め、4レーンに山縣、5レーンにケンブリッジ、6レーンに桐生と並んだ。雨脚が強まるコンディションの中、スタートの号砲が鳴る。

勢いよく飛び出したのは、スタートが得意な山縣だ。桐生がわずかな差で追い、ひときわ体格のいいケンブリッジは若干遅れた。二次加速に入る中間疾走に入っても、桐生は本来の走りが見られなかった。このまま山縣の優勝かと思われたが、終盤で一気にケンブリッジが〝2強〟をぶち抜いた。

栄光の第100回大会を制したのは、ケンブリッジ。優勝タイムは10秒16(-0.3)で、山縣が10秒17、桐生は10秒31にとどまった。そして前述の選考基準に基づき、優勝のケンブリッジはリオ五輪の代表に内定。3位の桐生も、8位に入賞すれば即内定となる日本陸連派遣設定記録(10秒01)を突破していたため内定を得たが、レース後は人目をはばからずに悔し泣きした。
(※2位の山縣も、後日代表に内定)

その後の3人の活躍は、陸上ファンならご存知の通りだ。リオ五輪では200mの飯塚翔太を加えた4人で4×100mリレーの銀メダル獲得に貢献したほか、桐生は翌年9月に100mで日本人史上初の9秒台となる9秒98をマーク。山縣とケンブリッジも、自己ベストをそれぞれ10秒00、10秒08に伸ばして日本のショートスプリント界を牽引している。

その他にも、2017年の日本選手権を制したサニブラウン・アブデル・ハキーム(自己記録10秒05)、同大会2位だった多田修平(同10秒07)など、現在の男子100mはまさに群雄割拠と言える。2016年の日本選手権は、そんな新時代の幕開けを象徴するような名勝負だった。

■男子100m日本歴代10傑
9秒98 +1.8 桐生祥秀(東洋大4)     2017年9月9日
10秒00 +1.9 伊東浩司(富士通)     1998年12月13日
10秒00 +0.2 山縣亮太(セイコー)     2017年9月24日
10秒02 +2.0 朝原宣治(大阪ガス)     2001年7月13日
10秒03 +1.8 末續慎吾(ミズノ)     2003年5月5日
10秒05 +0.6 サニブラウン・ハキーム(東京陸協) 2017年6月24日
10秒07 +1.9 江里口匡史(早大3)     2009年6月28日
10秒07 +1.8 多田修平(関学大3)     2017年9月9日
10秒08 +1.9 飯塚翔太(ミズノ)     2017年6月4日
10秒08 −0.9 ケンブリッジ飛鳥(ナイキ) 2017年6月23日

(「データで楽しむ陸上競技」松永貴允)