日本陸上界における平成30年間の名シーン。前回の国内女子編に引き続き、今回は国内男子編をお届けする。完全なる筆者の独断で選んだため賛否はあるだろうが、記録的価値が高い6試合をチョイスした。すべてを覚えているという方は、かなりの陸上マニアに違いない。

①高岡寿成vsエスビー食品トリオ(1996年日本選手権10000m)

この大会の男子10000mは、花田勝彦、渡辺康幸、平塚潤による〝エスビー食品27分台トリオ〟と5000mの日本記録保持者(当時)・高岡寿成が激しいバトルを展開。当時は正式参加が認められていた日本の実業団所属のA.ニジガマとS.マヤカの2人がハイペースを作り出し、4000mまでは日本記録を上回るラップを刻んだ。

残り1周に差し掛かる頃には5人(高岡、花田、渡辺、平塚、ニジガマ)に先頭集団は絞られ、最初に均衡を破ったのは花田だった。残り250mで鋭いスパートをかけ、逃げ切りを図る。一時は後続を5m近く突き放したが、最後の直線を目前に高岡がものすごいスピードで追ってきた。

逃げる花田、追う高岡――。

最後は、花田が右後ろを振り向いた隙にインレーン(逆側)から抜き去った高岡が差し切り勝ち。高岡は27分49秒89(当時・日本歴代10位)の自己新で初優勝。2位花田、3位渡辺、5位平塚と、エスビートリオは27分台の好タイムを刻みながら、高岡の圧倒的な〝末脚〟に後塵を拝した。

■1996年日本選手権男子10000m決勝
1位 高岡寿成(鐘紡) 27.49.89=自己新
2位 花田勝彦(エスビー食品) 27.50.46=自己新
3位 渡辺康幸(エスビー食品) 27.51.97
4位 A.ニジガマ(日清食品) 27.53.49
5位 平塚 潤(エスビー食品) 27.55.16=自己新
6位 S.マヤカ(ダイエー) 28.01.48

なお、4位のニジガマは前年まで2年連続で日本選手権の頂点に立っており、1995年大会では27分26秒26の大会新記録を樹立。1996年のアトランタ五輪ではブルンジ代表として10000mに出場し、4位入賞を果たすことになる世界的ランナーだ。

そんな実力者を日本人3選手が退けたという事実と、最後の最後まで誰が優勝するかわからない白熱のレース展開から、この試合は日本の長距離レースにおける「空前の名勝負」として語り継がれている。

②山崎一彦vs苅部俊二vs河村英昭vs斎藤嘉彦(1996年日本選手権400mハードル)

日本の男子トラック種目(個人)で日本の〝お家芸〟といえば、400mハードルが真っ先に思い浮かぶ。この種目は世界選手権で2度の銅メダルを獲得した為末大(自己記録47秒89=日本記録)を筆頭に、1995年のイエテボリ世界選手権で日本人トラック種目初の7位入賞、同年のユニバーシアード福岡大会で金メダルを獲得した山崎一彦。2005年ユニバーシアード・イズミール大会で金メダルを獲得し、2006年には同年の世界ランク4位に該当する47秒93(日本歴代2位)を記録した成迫健児など、世界と対等に戦ってきた数少ない種目だ。

この種目の〝名勝負〟といえば、1996年の日本選手権が有名。この大会は同年行われるアトランタ五輪の選考レースであり、当時「3強」と呼ばれていた山崎(当時・日本記録保持者)、苅部俊二(94年アジア大会金メダル)、齋藤嘉彦(当時・前日本記録保持者、92年バルセロナ五輪代表)に、新進気鋭の学生王者・河村英昭が加わる四つ巴の戦いが繰り広げられた。

雨の降りしきるレースは、山崎が積極果敢な走りで先行し、そのまま逃げ切り勝ち。2位争いは10台目まで苅部と齋藤が激しく競り合っていたが、最後のハードルを越えた直後から齋藤が失速。ゴール手前では後ろから迫る河村にも逆転され、2位苅部、3位河村、4位齋藤という結果となった。

■1996年日本選手権男子400mH決勝
1位 山崎一彦(アディダスTC) 48秒75
2位 苅部俊二(富士通) 48秒99
3位 河村英昭(順大) 49秒03=自己新
4位 斎藤嘉彦(東和銀行) 49秒21

ゴール後、齋藤は人目もはばからずに男泣き。アトランタ五輪の代表には、上位3人がそのまま内定した。

その後、昨年まで22回も日本選手権が開催されたわけだが、今年の秋に開催されるドーハ世界選手権の参加標準記録(49秒30)を上回る「49秒21」でも表彰台を逃すことになったのは、後にも先にもこの大会だけである。

③国近友昭vs諏訪利成vs高岡寿成(2003年福岡国際マラソン)

男女マラソンを通じて、筆者が最も〝名勝負〟だと感じたのが2003年の福岡国際マラソンだ。

当時の男子マラソン界は、前述の高岡寿成がマラソンに本格参戦し、前年のシカゴ・マラソンで2時間6分16秒の日本記録(当時)を樹立。当然この大会でも圧倒的優勝候補に挙げられていた。

ところが、2人の日本人選手が高岡に食い下がった。大会前の自己ベストが2時間10分10秒に過ぎなかった30歳の国近友昭と、前年3月のびわ湖で自身初の〝サブ10〟(2時間9分10秒)を達成して急成長を遂げていた26歳の諏訪利成だ。

レースは38km手前で高岡がスパートを仕掛け、8人ほどいた先頭集団が高岡、諏訪、国近の3人に絞られる。ここで一気に突き放せなかった高岡は、40km過ぎにまさかの失速。白熱の優勝争いは、フィニッシュ地点の平和台陸上競技場手前で前に出た国近が制した。

■2003年福岡国際マラソン
1位 国近友昭(エスビー食品) 2時間7分52秒=当時・日本歴代6位タイ
2位 諏訪利成(日清食品) 2時間7分55秒=当時・日本歴代8位
3位 高岡寿成(カネボウ) 2時間7分59秒
4位 A.ペーニャ(スペイン) 2時間8分10秒
5位 H.ヌグセ(エチオピア) 2時間8分21秒
6位 尾方 剛(中国電力) 2時間8分37秒=自己新
7位 小島忠幸(旭化成) 2時間8分48秒=自己新
8位 V.キプソス(ケニア) 2時間9分42秒
9位 野田道胤(ホンダ) 2時間9分58秒=自己新

このレースが後世に語り継がれる理由は、以下の4点に凝縮されている。
・当時3000m、5000m、10000m、マラソンの4種目で日本記録を保持していた高岡の敗戦→翌年のアテネ五輪の代表から落選
・日本人上位3人までが2時間7分台(2019年3月20日時点でこのレースのみ)
・日本人上位5人までが2時間8分台(2018年東京マラソンで更新【6人】されるまで最多だった)
・同大会で日本人選手が3位まで占めるのは1991年以来12年ぶりだった(その後、達成なし)

現在、日本の男子マラソンはMGCレースを半年後に控えて大盛り上がりだが、個人的には2003年福岡を上回る名勝負はないと思っている。自国開催の東京五輪代表選考がかかるMGCでは、この時の興奮を忘れさせるほどの名勝負を期待したい。

続きは、陸上をますます面白くする~平成名勝負列伝~国内男子編②で。

「データで楽しむ陸上競技」松永貴允 )