日本陸上界における平成30年間の名シーン。①太田陽子vs今井美希(2002年日本選手権女子走高跳)②小島初佳vs坂上香織(2004年日本選手権女子100m)に続くのは以下の名勝負だ。

③池田久美子vs花岡麻帆(2005年日本選手権女子走幅跳)
2000年代の女子走幅跳を盛り上げた新旧日本記録保持者の花岡麻帆と池田久美子。両者は幾度も熱戦を繰り広げてみせたが、2005年の日本選手権における〝サード記録決着〟はその代表格と言っていいだろう。

池田が6m60、花岡が6m57で前半3回の試技を終えると、先攻の花岡が4回目に6m61で逆転に成功。すると5回目には池田が6m69で再逆転し、最終6回目では花岡も6m69をジャンプし、セカンド記録の差で再び花岡が1位に浮上した。再々逆転をかけた池田の最終ジャンプは、何と花岡のセカンド記録に並ぶ6m61。日本一を決める頂上決戦で、セカンド記録まで同じという名勝負は「3cm差」のサード記録によって池田に軍配が上がった。

■2005年日本選手権における池田と花岡の試技内容
     花岡      池田
1回目 6m30(+1.6) 6m24(+1.4)
2回目 6m40(-1.2) 5m02(-0.6)
3回目 6m57(+1.1) 6m60(+0.5)
4回目 6m61(+1.0) 6m41(+0.8)
5回目 6m43(±0)   6m69(+1.1)
6回目 6m69(-0.1) 6m61(+0.8)

実は両者は2001年の日本選手権で〝ダブル日本新〟の熱戦を演じており、6m82を跳んだ花岡が優勝して日本記録保持者に。池田は従来の日本記録(6m61)を17cmも上回りながら、4cm差の2位で涙をのんだ過去があった。

2002年も花岡が優勝を飾ると、2003年は池田が1cm差で初優勝して同年のパリ世界選手権代表を射止め、2004年は花岡が4cm差で制してアテネ五輪代表へ。両者のバトルは年々激しさを増していき、そして2005年の〝名勝負〟へとつながっていく。

その後、池田は2006年に6m86の日本新記録を樹立。この記録はいまだ破られていない。

④渋井陽子vs赤羽有紀子vs福士加代子(2008年日本選手権女子10000m)
トラックの長距離レースにおける名勝負といえば、2008年の日本選手権女子10000mが思い浮かぶ。このレースでは日本記録保持者の渋井陽子と、この種目6連覇中の絶対女王・福士加代子、そして成長著しい〝ママさんランナー〟赤羽有紀子の3選手が史上稀にみるハイレベルな争いを繰り広げた。

レースは渋井が集団の先頭を積極的に引っ張り、5000mを15分42秒で通過。7600m付近で優勝争いが3人に絞られると、残り2000mで福士が最初の仕掛けに出る。このロングスパートに赤羽が一時出遅れたが、その後すぐに追いつく粘りを見せ、今度は残り300mで赤羽が先頭へ。この赤羽のアタックに福士は付いていけなかったが、渋井は赤羽の背中にピタリとつけ、最後の50mで逆転。サングラスをかけたまま、笑顔のピースサインでフィニッシュラインを駆け抜けた。

渋井のVタイムは31分15秒07。2位の赤羽が当時日本歴代4位の31分15秒34で続き、3位の福士が31分18秒79と、同年開催される北京五輪の参加記録A標準を突破する〝トリプル大会新〟で3人そろって五輪代表に選出された。

2001年に10000mで、2004年にマラソンで日本記録を打ち立てながら、五輪には縁がなかった渋井の復活、絶対女王・福士の敗戦、2006年の出産後から驚異の覚醒を遂げる赤羽の快進撃など、いくつものトピックスが重なった伝説のレースだった。

その後、赤羽は翌年の日本選手権10000mを制すると、マラソン転向後の2011年にはテグ世界選手権で5位入賞を達成。その2年後のモスクワ世界選手権では福士がマラソンで銅メダルに輝くなど、2001年のエドモントン世界選手権で4位に入っている渋井を含めると、3人全員がマラソンで世界選手権入賞を達成したことになった。

(「データで楽しむ陸上競技」松永貴允)