日本のカーリング界にとって、年末から1月下旬は日本選手権出場をかけた地方大会の季節だ。各地で行われた今シーズンの地方大会は、1月24日から27日まで行われたの中部選手権で全日程を終了し、2月11日から始まる日本選手権に出場する全チームが出そろった。今から1カ月前、その地方大会の1つを訪れた。

昨年12月24日、青森。市内に時折雪が舞うこの日、みちぎんドリームスタジアムで行われていた東北選手権は最終日を迎えていた。午前の女子準決勝を勝ち上がったのは、Delight青森と高校生チームのCalfikio。1枠の日本選手権出場を懸けて争う決勝は、青森県勢同士の決勝となった。

カーリングといえば北海道や軽井沢が有名どころだろう。北海道はロコ・ソラーレの地元としても知られ、多数のオリンピアンを輩出している 〝カーリングの聖地〟常呂町(2006年の合併により現在は北見市の一部)があり、ソチ五輪代表の北海道銀行フォルティウスをはじめ、国内トップチームが集まっている。軽井沢はカーリングが五輪正式種目に採用された長野五輪のカーリング競技会場で、平昌五輪男子代表のSC軽井沢クラブや、中部電力といった国内トップチームが育っている。

そして、青森もまた日本のカーリング界の歴史を語るうえで欠くことのできない町だ。2007年には日本で初めて世界選手権を開催。そして、この町には日本カーリング界の顔として長く活躍した「チーム青森」の存在があった。

チーム青森は、2003年のチーム結成以降、日本選手権を6度制覇。世界選手権は4度出場し、2008年にチーム最高成績となる4位に食い込んだ。これは、2016年にロコ・ソラーレが準優勝するまで、日本代表の最高成績だった。五輪は、2006年トリノ、2010年バンクーバーの2大会に連続して出場。特に、小野寺歩(現姓は小笠原)、林弓枝(現姓は船山)、本橋麻里、目黒萌絵(現姓は金村)、寺田桜子のメンバーで出場したトリノ五輪での活躍ぶりは、「カーリング娘」という言葉を生み出し、日本におけるカーリングの認知度を一気に飛躍させた。当時、日本のカーリングは青森を中心に動いていた。

しかし、チーム青森が2013年に活動を休止すると、それ以降、青森は国内トップを争う勢力図から一歩後退していく。日本選手権に関して言えば、2012年にチーム青森が3位になったのを最後に、青森から表彰台に立つチームは出ていない。ジュニア世代は、あおもりユースが2016年日本ジュニア選手権優勝、昨シーズンの日本選手権でインスパイア青森が4位と健闘するなど、国内トップクラスの成績を残している。

みちぎんドリームスタジアムのロビーにある掲示板には、カーリング教室のビラが多数貼られているように、カーリング熱は衰えていない。ただ、チーム青森のような青森を象徴する大人のチームは存在していなかった。

そんな青森で、新たに結成されたチームが、Delight青森だ。目標に掲げるのは2022年北京五輪出場。青森から世界を目指すチームの誕生である。

Delight青森は、みちのく銀行と村上新町病院の支援を受けて、2017年の9月に結成された。現メンバーは、木原遥、田中美咲、青田しのぶ、齋藤菜月の4人。現在、チームのトレーニングは週2回ほど。青田と木原はみちのく銀行に所属し、齋藤は村上新町病院勤務。田中は県内の大学に通いながら活動している。

Delight青森がチーム青森と大きく違うのは、地元色の強さだ。チーム青森が、主に北海道出身の有力選手を県内に呼び寄せて構成されていたチームだったのに対し、Delight青森は青田を除くメンバーが県内の出身者。その青田も青森での在住期間は長い。

リードの木原は青森県協会のメンバーとして、セカンドの田中は、あおもりユースのメンバーとして日本選手権出場経験を持つなど、ジュニアの頃から青森で活躍している若手だ。彼女達と同じ世代の仲間には、県外に進学や就職をしてカーリングを続けている者も少なくない。地元青森で立ち上げられたチームでプレーすることに対して、田中は次のように話してくれた。

「自分は、今までジュニアのチームでやっていて、いろんな地元の人の応援をもらって、すごいパワーをもらっていたんです。その人たちの為にも青森で頑張りたいなという気持ちがあったので、青森でやっています」

木原もその想いは同じだ。

「青森には今まで指導してくださったコーチがたくさんいるので、そのコーチたちに自分の頑張っている姿を見せたい。そして、青森を応援して下さる企業もたくさんあるので、そこで頑張って青森から世界に行きたい。そういう気持ちがあったので、地元から出たいなと思いました」

サードでプレイングマネージャーの青田は、北海道での選手時代に3度の世界選手権出場経験を持つ大ベテラン。フォースでスキップを務める齋藤も、日本選手権出場経験だけでなく、2015年世界ミックスカーリング選手権に出場した経歴を持つ経験豊かなベテランだ。そして、齋藤と青田の2人は、チーム青森が活動休止した時のメンバーでもある。チーム青森の活動休止後、青田は現役生活にピリオドをうっていたが、齋藤に誘われ現役復帰を決意した。

「青森に来たのもカーリングがきっかけで。チーム青森でのカーリングに未練はないけど。そのままカーリングを自分の生活から切り離してみましたけど……。もし、またカーリングの競技者として関わるような機会があった時には、必要としてくれる人がいる限りは青森でやりきってもいいのかなとは思いました。その背景には、たくさんの縁を感じるような出会いとか出来事とかあって。自分の生活もカーリングも感謝がいっぱいある中で、(青森に)いさせてもらっているところはあるかなと思うので」

この青森で。青森のために。彼女たちのコメントからは、青森でプレーすることに対する想いの強さが伝わってきた。

(「ようこそ カーリングの世界へ」土手克幸 )