東京ドームがまだ「BIGEGG」と呼ばれていたころ、1989年11月5日にセ・パ誕生40周年記念して行われた、『フレッシュスターゲームとOBオールスターゲーム』の半券。東京ドームのイラストと、セ・パ40周年ロゴがプリントされた品の良いデザインで、ゲームそのもの希少性も含め、半券としての価値? は高いのではないか。

東京ドームの開場は1988年のこと。大半のプロ野球の本拠地がドーム球場となった今では何も珍しくないのだが、「屋根付き」の野球場は当時としては画期的なことだった。ただでさえプラチナチケットの巨人戦はもとより、日本ハム戦の動員数も前年約124万人から約245万人と倍増。例年は関係者以外見向きもしない都市対抗野球まで超満員とドーム球場見たさに観客が押し寄せた。

夏休みに東京ドームに行ったクラスメイトなど、それが日本ハム戦であっても羨望のまなざしが向けられ「スタンドが3層に分かれている」「通路にテレビがあって席を離れても試合の進行状況がわかる」「球場を出るときに風圧で押し出される」などと得意げに語るのだった。

屋根どころか人工芝もなく、おまけに水捌けが悪く前日雨が降ると晴天でも中止になる川崎球場を〝ホームスタジアム〟としていた私は「ブリューワもイースラーも川崎球場でも見られるからいいんだ」など強がりながらも、やっぱり羨ましかった。

で、念願が叶ったのがこの試合。1989年は丁度セ・パ誕生40周年にあたり、オフの記念事業としてNPBが主催して前日に両リーグのオールスターが勢揃いするプロ野球東西対抗戦、そしてこの日は3年目以内の若手で行われるフレッシュスターゲームとOBオールスターゲームが行われた。

どうしてこの試合を見に行ったのかは忘れたが、おそらく通常の公式戦だとチケットがとれないが、オフの「余興」だから当日券でも手に入るだろうという小学生らしいヨミだったのだろう。12時の試合開始に合わせて同級生のマツイ君と一緒に早起きして出掛けると、すんなりチケットを手に入れることができた。

どんな試合だったか、朧気ながら記憶にあるのは、

【フレッシュスターゲーム】
・ロースコアの退屈なゲームだった
・西武の森博幸がホームランを打った
・西武の渡辺智男がセーブを挙げた
・パンフレットに名前のあった近鉄の高柳が登板しなかった

【OBオールスター】
・出場選手は現役時代の所属チームのユニフォームを着ていた
・中西太は西鉄OBなのに当時コーチとして所属していた近鉄のユニフォームで出場していた

ということ。はたしてこの記憶は確かなのか?

NPBの主催とはいえ、この日限りの記念試合とあってOBオールスターはもちろんのこと、フレッシュスターゲームのスコアもベースボールレコードブックに公式記録は記されておらず、ネットで検索しても探し出すことができなかった。新聞の縮刷版を繰ると「若手もOBもパ・リーグが勝つ」という見出しで簡単な記事とスコアが掲載されていた。

※下記は朝日新聞東京14版、1989年11月6日紙面より。

◇フレッシュスター戦
全セ 001 000 000 1
全パ 001 100 00× 2
【セ】川崎(ヤ)、吉田(巨)、川島(広)、今中(中)、片瀬(広)、加藤(ヤ)、野田(神)、野村(洋)‐谷繁(洋)、岩田(神)
【パ】石井(西)、前田(ロ)、武田(日)、伊藤敦(オ)、吉田豊(ダ)、村田(ダ)、渡辺智(西)‐森(ダ)、中島(オ)、福沢(ロ)
【本】初芝(吉田)、森(川島)【二】宮里(洋)、初芝(ロ)

◇OBオールスター戦(7回制)
全パ 060 111 1 10
全セ 200 010 0 3

フレッシュスターゲームはあまり有名ではない若手選手ばかりが出ていた印象があったが、バッテリーと長打を打った選手の名だけでも、そうそうたるもの。その後大きく羽ばたく実力派が揃っていた。

やはり森はホームランを打っていた。ライナー性の打球がバックスクリーン方向に飛んで行ったような記憶があるのだが? これは詳細なスコアがなく調べようがない。

渡辺智がセーブというのは試合終了後、場内に責任投手についてアナウンスがあり「セーブ、渡辺智男、西武」とアナウンスがあったから。「セーブ」と「西武」の発音が同じで面白くて覚えていたのだが、渡辺智は最後に投げているのでこれも記憶通りだった。

セは投手を8人起用しているのに対して、パは7人。両チーム同じ人数が登録されていれば、パは1人投手を使っていない。それが高柳だったのか?

OBオールスターはスコアのみが記されており、7回戦制だったことが分かった。OB戦が所属チームのユニフォームでプレーされる場合、複数球団に在籍していた選手はどこのユニフォームを着るか、ファンとしては興味深いところ。この日の試合がどうだったのかはわからないが、その他のOB戦も含めた個人的な印象でいえば江夏と田淵はほぼ阪神のユニフォームを着ている。張本は巨人を着そうだが、両リーグOBが会する「オールスター」では東映を着ていることが多かった気がする。

この日の試合で中西は当時コーチとして所属していた近鉄のユニフォームを着ていた。子ども心に現役時代は元西鉄なのになんでだろう? と思った。朝日新聞の記事には次のようにある。

パが二回元西鉄勢の活躍で一挙6点を奪いセに大勝。最優秀選手賞(賞金百万円)はパの中西太近鉄コーチが選ばれた。

この試合で中西は決勝打を放っていたようで、それもあってユニフォームの件が印象に残っているのだろう。それにしても「中西太近鉄コーチ」とわざわざ記しているのはどうしてなのか? さらに同じ日の日本経済新聞には次のような記事もあった。

…2点をリードされた全パが二回、中西(近鉄)の二塁打を足場に3連続適時打を放って3‐2と逆転。さらに満塁から豊田(西鉄)の走者一掃の適時二塁打でこの回一挙6点…

豊田の所属チームが(西鉄)なのに対して、同じ「西鉄勢」のはずの中西を(近鉄)としているのは気になる。やっぱり近鉄のユニフォームを着ていたんじゃないか? だとすれば現役時代に所属してないチームのユニフォームでプレーしたというなかなかの珍事(?)を目撃していたことになる。

この試合が行われたのは平成元年。あれから30年が経ち、今年、プロ野球は70周年を迎える。フレッシュスターゲームのメンバーが集まれば立派なOB戦だ。中西太は4月で86歳になる。機会があれば「ユニフォーム事件」の真相を伺いたいものだ。

(「プロ野球半券ノスタルジア」石川哲也 )