メットライフドームにまだ屋根がつく前「西武ライオンズ球場」時代のチケット半券。球場窓口で購入した当日券だが、まだプリンターの印字がお手軽ではなかった80年代らしく、カード別の常備券に日付と開始時間がハンコで捺されてる。ペットマークのレオとチームカラーを配したシンプルなデザインだが、ホーム側のチーム名が「ライオンズ」と表記されていたり、さりげないこだわりとパ・リーグに新風を送り込んだ新生球団らしいセンスの良さが垣間見える。

どうしてこの試合の半券が残っているのかといえば、この年から私は「西武ライオンズ友の会」という小中学生向けファンクラブに入会しており、最寄りの川崎球場のロッテ戦だけでは飽き足らず、「西武の白い(ホームの)ユニフォームが見たい」と父親にねだって連れて行ってもらったのだった。私はファンクラブの会員証で入場したので、父親の大人用チケットが手元に残った。

この年、西武球場は開場8年目で12球団の本拠地のうち最も新しかった。丘陵地を掘り下げて作られたグラウンドには内外野に人工芝が敷かれ広々としてキレイで、当時としては珍しく試合終了時には花火が打ち上ったりするなど野球+αのエンターテイメントもあり、これが川崎球場と同じプロ野球の本拠地なのかと子ども心に衝撃を受けた。

ただ球場の美しさには感動したものの、試合はタイクツだった記憶が残っている。主役級の秋山幸二、清原和博、石毛宏典あたりにホームランが飛び出し花火がバンバン打ちあがることはなく、四球、エラー絡みで試合が決まったような?投手は先発が西武・東尾、近鉄・村田辰美で、東尾が例ののらりくらりとした投球で完投したような?で、スコアを調べてみると、我ながらなかなかの記憶力。

〇9月27日 24回戦 35000人
近鉄 000 020 000 … 2
西武 000 040 00 ×  … 4
勝 東尾 13勝9敗
敗 村田 4勝7敗1S
本 なし

西武は9安打を放ったものの長打は石毛の二塁打のみ。決勝打は先発が左の村田のため2番DHに入っていた広橋公寿。1安打2打点なのでタイムリーだったのか?当時住んでいた神奈川県横須賀市から池袋経由で2時間ほど、わざわざ足を延ばしたのに、淡白な試合だった。

80年中盤から90年代中盤にかけては西武の黄金時代といわれ、1987年は森祇晶監督の2年目で前年も日本一になっていたが、森が「育てながら勝つ」と事あるごとに口にしていたように、チームが若く90年代に入ってからの圧倒的な強さと比べて、まだ脆さがあった。とりわけ打線が貧弱でこの年から背番号1をつけた25歳の秋山はホームランは打つものの開幕から打率は2割台前半、2年目、20歳の清原はジンクスに嵌って打棒が奮わず、4番はブコビッチが座ることが多かった。

結局、チーム打率はリーグ最下位の249で終わるのだが、投手陣が2・96という驚異的なチーム防御率を残しなんとか勝ち切った。その投手陣も東尾、工藤、郭、松沼兄と先発は強力だったが、抑えは森繁和、松沼弟と定着できず、ケガで配置転換した渡辺久信の8Sが最多。チーム完投数が2位よりも21も多い66もあったのは守護神不在の裏返しでもあった。

その意味では、この日の試合はなかなかつながらない打線と、37歳のベテランの踏ん張りの投球という、このシーズンを象徴するゲームだったのかもしれない。この日のお立ち台には完投した東尾があがった。いつもは首を回したりしながら険しい表情でダルそうにインタビューに答える東尾がこの日はご機嫌で、「今日はうまい酒が飲めそうですね?」と聞かれて、「いつも飲んでますよ」と返し球場中に笑いが起こった。このレオのプリントされた半券を見返すと、それを思い出す。

(「プロ野球半券ノスタルジア」石川哲也 )