「箱根駅伝」「給水」というワードを聞いて、どんなことを思い浮かべるだろうか。

第89回大会では関東学生連合の2区に登場した早川翼(当時・東海大4年)が、チームメイトであり、東海大のエースだった村澤明伸と並走するために手にした給水のボトルをなかなか手放さなかった。続く3区では大迫傑(当時・早大3年)がロンドン五輪にやり投げで出場したディーン・元気から給水ボトルを受け取っている。

このふたつの給水シーンは当時メディアでも取り上げられたので、覚えている方も多いのではないだろうか。

チーム関係者が走って手渡しをする給水は箱根駅伝特有のもので、各区間決められた地点から「50m以内の並走」と決められている。出走する選手は22kmほど走る中、給水をする選手やチーム関係者が箱根路を走れる距離はわずか50m。時間にして10秒ほど。

テレビ中継で全チームの全ての給水が放送されることはなく、給水シーンが取り上げられる時の多くが出走できなかった有力選手や、往路を走り終えた選手からの給水である。万人の記憶に残る給水シーンというのはなかなかないのかもしれない。しかしメディアに大きく取り上げられることがなくとも、その50mには、ドラマが凝縮されている。

令和最初の箱根駅伝。例年と変わらず〝花の2区〟には多くの観客で埋め尽くされた。第1中継所となる戸塚中継所で19番目にタスキを受け取った2区の順大・藤曲寛人(4年)。2度目の給水ポイントがある15kmまでに藤曲は順位を15位まで押し上げ、筑波大・金丸逸樹(4年)と並走してやってきた。藤曲の姿を見てコースに飛び出したのは給水係の黒柳宏暢(4年)。黒柳は11月30日に行われた日体大長距離競技会1万mで自己ベストとなる30分56秒12をマークしたが、エントリーは叶わなかった。順大の卒業をもって現役から退くという。 50mの並走が始まった。

沿道の歓声がすごく、内容までは聞き取れないものの懸命に黒柳が何かを伝えながら、手にしたドリンクを藤曲に手渡した。藤曲は給水を受けた後、静かに黒柳の肩をポンと叩いた。どんな想いを込めてポンと叩いたのか計り知ることはできないが、その動きはとても優しく見えた。

黒柳は終始晴れやかで、そして真剣な表情で給水係を務めていた。黒柳の「走り」は箱根駅伝に出走した選手と変わらないくらい胸を打つものであった。

給水は出走している選手を支えるためのものであり、日の目を浴びない。当然黒柳の走りは記録としてタイムにも、順位にも残らない。しかし藤曲と黒柳の並走は記憶に残る走りとなった。2人の走りを観て箱根駅伝は出走した210人だけのものではないと改めて感じさせられた。

(「学生陸上スポットライト」野田しほり)